山梨中央銀行

文字サイズ変更

  • 小
  • 中
  • 大
  • お問い合わせ
  • サイトマップ

ENGLISH

  • 個人のお客さま
  • 法人・個人事業主のお客さま
  • 株主・投資家の皆さま
  • 採用情報

ホーム > 地域情報 > 山梨中銀金融資料館 > お金のはなし あれこれ

山梨中銀金融資料館

山梨中央銀行のおいたち

山梨中央銀行はこうして生まれたんだ。

山梨中央銀行は明治7年6月“産業(さんぎょう)をさかんにして豊(ゆた)かな山梨をつくろう”という目的で、その名前を興益社(こうえきしゃ)として生まれたんだ。

その後、政府から銀行をつくってよいとの許(ゆる)しがだされ、興益社は第十国立銀行と名前がかわり全国で9番日の銀行となったんだよ。初めにつくった人は栗原信近(くりはらのぶちか)といって、韮崎市穴山町(にらさきしあなやままち)の人だよ。

山梨中央銀行は生まれてからもう、とっくに100歳(さい)をすぎてるよ。

みんなに"ちりもつもれば山となる"を教えたんだよ。

興益社(こうえきしゃ)は“山梨の産業をさかんにして、人びとの生活をゆたかにするにはお金が必要。だからみんな貯金(ちょきん)をしなさい。みんなの少ないお金でもまとまれば大きな力になるんだ。”と人びとに貯金の必要を教えたんだ。この貯金が「興産金(こうさんきん)」といって、全国の銀行で一番早くから始まった貯金なんだよ。

日本で最も古い貯金通帳(ちょきんつうちょう)も展示してあるよ。

銀行がしだいにまとまって山梨中央銀行がひとつになったんだ。

今からおよそ100年くらい前の明治30年代には、全国にたくさんの銀行がつくられたんだ。山梨にも一番多いときには70をこえる銀行がつくられ長野県(ながのけん)につぐ数になったんだよ。

ところがそれから20年くらいたった昭和の初めになると、しだいに銀行の経営が苦しくなって、銀行の数がへりだし、とうとう昭和15年末(まつ)には4つになってしまったんだ。最後には一番しっかりした銀行が残って、山梨中央銀行となったんだ。