「山体崩壊」「岩屑なだれ」とは?~八ヶ岳や浅間山を例に
かつて富士山のようなきれいな姿だったにもかかわらず、現在は大きく形を変えてしまった山が日本にはいくつかあります。形を変えてしまった原因は「山体崩壊」です。
実は、山梨県は大規模な山体崩壊の痕跡がいくつも見られる地域なんです。
山体崩壊とは?
山体崩壊(さんたいほうかい)とは、噴火や地震、浸食、風化などが原因で山の一部分が文字通り崩れ落ちてしまう現象です。富士山のようなきれいな円錐形をした山を「成層火山」と呼びますが、その成層火山で山体崩壊がとくに起こりやすいことが分かっています。
通常の「土砂崩れ」や「地滑り」とは規模が異なり、山そのものがその形を維持できなくなって山頂部などの膨大な土砂が塊となって崩れ落ちます。その土砂の量は数十億立方メートルに達することもあります。
崩壊した土砂は、空気や水を含んで流動化し、「岩屑なだれ(がんせつなだれ)」となって時速80〜200kmのスピードで広範囲に押し寄せます。この岩屑なだれが川をせき止めれば「天然ダム」が形成され、海に流れ込めば「巨大津波」を引き起こします。
山体崩壊の有名な例
有名な山体崩壊の例は、セント・へレンズ山です(下の写真)。
※Pixbayから得た写真を一部改変して作成
1980年に噴火し、それがきっかけで大規模な山体崩壊を引き起こしました。山頂部が崩れ落ち、山の標高が2,950mから2,550mに、一気に400m減少しました。
発生した岩屑なだれは28億立方メートルに達し、ふもとに流れ落ちて57名の方が亡くなった他、200軒の建物と47本の橋が壊れ、300kmにわたり高速道路が寸断されました。それでも事前の立ち入り制限とハザードマップが有効に働き、人的被害を最小限に抑えることができた事例とされます。
日本は山体崩壊の起こりやすい場所
日本列島は、世界的に見ても山体崩壊が発生しやすい場所と言われます。その理由は主に以下です。
火山が多い
日本には111の活火山が存在します。火山の噴火以外にも、温泉・熱水の通り道の岩石が変質して脆くなることも山体崩壊のきっかけになります。
変動帯に位置している
4つのプレートがひしめき合う日本列島は、世界的に見ても地震が多い場所です。地震の揺れが引き金となって山体崩壊が起こります。
多雨気候
台風や線状降水帯などの豪雨や融雪・浸食などを受けて山が不安定になり、山体崩壊のきっかけになります。
実際に山体崩壊を起こした日本の山
日本国内で過去に山体崩壊を起こした山は多く知られています。中でも山梨県は、大規模な山体崩壊の歴史に囲まれた土地と言えます。
富士山
富士山は昔から山体崩壊を繰り返していることが分かっています。
代表的なものに、約2,900年前に発生した「御殿場岩屑なだれ」があります。富士山東斜面で発生し、崩壊した土砂の体積は約17.6億立方メートルと推定されています。
泥流は今の御殿場辺りから三島を通って駿河湾まで到達して海に流れ込みました。この崩壊の引き金は噴火ではなく地震だったと考えられています。
1707年の宝永大噴火以降、富士山は噴火していませんが、将来噴火や巨大地震が起これば、山体崩壊も引き起こされる可能性が懸念されています。
八ヶ岳
山梨県と長野県にまたがる八ヶ岳連峰は、その名の通りいくつもの峰が連なる形をしています。しかし、かつては富士山に匹敵するほど大きな成層火山だったと考えられています。
約20万年前、崩壊土砂の量が100億立方メートルに達するような日本最大規模の山体崩壊が発生しました。土砂は南側になだれて、現在の北杜市や韮崎市一帯に台地状の地形を作り、これが今の「七里岩」になっています。長野県富士見町付近から韮崎市付近まで7里(約30km)にわたって続いているため、この名前がつきました。
八ヶ岳南麓と韮崎へと続く七里岩(写真上部から中央下方へ伸びている部分)
また、「大月川岩屑なだれ」も有名です。硫黄岳を目指す登山者の目を引くのが爆裂火口ですが、この一部は887年(平安時代前期)の北八ヶ岳火山群(天狗岳)の山体崩壊で形成されました。崩壊した土砂は「大月川岩屑なだれ」となって下流へ押し寄せて、千曲川をせき止めて複数の湖を作ることになりますが、そのひとつが現在の松原湖です。
松原湖の写真
浅間山
江戸時代に起こった浅間山の天明大噴火(1783年)や天明の飢饉は小中学校の授業で習うほど有名ですが、このときも大規模な山体崩壊が起こっています。
この噴火がきっかけで起こった山体崩壊や泥流で天然ダムができ、それが決壊して大規模な洪水も起こり、多くの人が亡くなりました。
実はこの年にアイスランドでも巨大噴火が起こっていて、浅間山噴火と合わせて大量の火山灰が北半球を覆った結果、日射が遮られて世界的に不作となり、フランス革命の遠因にもなったと言われています。
そんな大噴火でしたが、浅間山にはその何十倍も大きな山体崩壊の歴史があります。黒斑山(くろふやま)の崩壊です。
当時、標高2,800~2,900mほどの成層火山だった浅間山は、2万3,000~2万4,300年前の噴火に伴う山体崩壊で、その山頂付近(今の黒斑山の東側)が大きく崩落します。
江戸時代の天明の噴火も凄まじい災害でしたが、黒斑山の崩壊は山そのものが半分なくなるような山体崩壊だったので、そのまま周辺の地形もすっかり変えてしまいました。北に向かった岩屑なだれは前橋台地を形成し、南に向かった岩屑なだれは複数の流れ山と堆積地形を形成して、今の佐久の地形を作りました。
浅間山と佐久の街
雲仙岳、島原大変肥後迷惑
1792年(寛政4年)、長崎県の雲仙岳にある眉山(びざん)が山体崩壊を起こしました。この災害は「島原大変肥後迷惑」として知られています。
この崩壊の原因は地震によるものと考えられています。崩壊した土砂の量は約3億立方メートル以上で、土砂は島原城下を飲み込みながら有明海へ流れ込み、これによって15~20mの巨大津波が発生し、対岸の熊本(肥後)側に甚大な被害をもたらしました。その津波は跳ね返って島原に戻ってきて、死者・行方不明者1万5,000人を超える国内火山災害史上、最悪の被害をもたらしました。
雲仙岳と有明海
磐梯山
1888年(明治21年)、福島県の磐梯山が噴火して山体崩壊が発生しました。水蒸気爆発の噴火だったため、わずか数分のうちに山が吹き飛び、発生した岩屑なだれがふもとの11の集落を埋め、477人の犠牲者を出しました。
この岩屑なだれは裏磐梯一帯に流れ込んで川をせき止め、現在の「五色沼」や「桧原湖(ひばらこ)」といった300以上の湖沼群を作りました。会津米沢街道の宿場町だった「桧原宿」や檜原大山祗神社の参道が松原湖の湖底に沈みました。その参道の鳥居が、季節によって湖面から姿を現します。
磐梯山と桧原湖
以上、山体崩壊についてでした。
富士山、八ヶ岳、浅間山・・・美しい山の姿の裏には、大地の変動の歴史がありました。山体崩壊のことを知っておくことは、防災の観点からも大切なことですね。
written by ヒノキブンコ
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