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「⼗⽇市」〜500年以上続く⼭梨県の市(いち)。⼿に⼊らないのは「猫の卵」と「⾺の⾓」

市(いち)とは市場のこと。決まった日に決まった場所で行われる定期市を指し、平安時代に始まりました。

物産市、魚市場、野菜市、原木市・・・人々が行き交い、モノをモノやお金で交換する場は、それまでの交易がより効率的になった形と言えます。その後、商業店舗や商圏の形成で定期市は衰退しますが、それでも伝統行事として今に受け継がれる市が各地にあります。

山梨県の「十日市」もそんな地域に親しまれる定期市のひとつです。

山梨県の十日市〜歴史は500年以上

十日市は甲府盆地に春を呼ぶ祭りとして知られる山梨県の伝統的な市です。

戦国時代の記録から、その歴史は少なくとも500年以上であることが分かっています。南アルプス市若草地区の県道12号(韮崎南アルプス中央線)沿い、1kmほどの区間に渡って毎年2月10〜11日の2日間、開催されます。

『手に入らないのは猫の卵と馬の角』と言われるほど、十日市では多くの特産品が売られていたようです。昭和時代には、植木、屏風、古着、草履、飴、おもちゃなどが売られていました。今年(2024年)は各地の名物グルメ、射的、綿菓子、宝すくい、お花、お面、臼、杵、一輪挿し、甲州だるまなどが並びました。

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「十日市と言えば臼」

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「十日市と言えば臼」と言う人もいるほど、臼は十日市の象徴です。

餅つきはハレの日の行事なので、その道具である臼は家族繁栄の象徴と言えます。そんな日本の伝統的な気持ちを大事にする人たちが十日市に臼と杵を求めにやってきます。正しいお手入れで100年以上使える臼とあり、「おじいちゃんの前の代で十日市で買った。それが古くなったから新しい臼を買いに来た」という方にも出会いました。

十日市に並ぶ臼は平林地区(山梨県南巨摩郡富士川町)で作られます。こちらも歴史は古く、鎌倉時代から臼づくりが続けられてきたとか。そこからそう遠くない場所でこの十日市が開かれてきたと聞けば、人々の営みの歴史に想いを馳せずにいられません。

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平林地区で作られる臼は材料はケヤキですが、昭和初期までミネバリという材料で作っていたと臼職人さんが教えてくれました。ミネバリは水に沈むほど重く、密度の高い木で、昔は南アルプスに多く自生していたとか。

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平林の臼の特徴は「みかん彫り」。内側に返しがあり、中が広くなっているので、餅つきのときにお米が飛び出しにくく、縁の返しで餅が自然と返ってくれる特徴があります。

甲州だるま

甲州だるまは約400年前にルーツをもつ山梨の工芸品です。江戸時代に甲府市旧横沢町(現在の甲府市朝日、宝)の辺りで作られたため、横沢だるまの別称も持ちます。

武田信玄がモデルというだけあって、その精悍な顔立ちと力強いひげが厳格な雰囲気を醸し出します。鼻が高く彫りが深いのが特徴で、髭と眉毛の絵付けで鶴亀が表現されます。

十日市の名前の由来

実は「十日市」という言葉は全国にあります。毎月十日に催される市や十日ごとに開かれる市を「十日市」と呼んできたためです。山梨県の都留市にも「十日市場」という地名があるので、昔は都留で十日市が開かれていたのかもしれません。

山梨で十日市が行われる意味

縄文時代には山梨は交易・文化の交差点だったと言います。長野県の和田峠の黒曜石が広く関東で見つかりますが、その交易路で山梨を通っていたことは容易に想像できます。山梨でさまざまなタイプの土偶が見つかることも、当時各地の文化が行き交う場所だったことを示唆します。
その後も山梨は、富士川水運や信濃中馬、甲州街道など主要な物流ルートが行き交う場所であり続けました。


そんな場所だからこそ、十日市がこれほど長く続いたのかもしれませんね。

Article written by ヒノキブンコ

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