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山梨の民謡、縁故節(えんこぶし)とは?

縁故節

えんこぶし(縁故節)ってときどき耳にするけど、なんだろ?

エグエグ節

私のおばあちゃんはときどきキッチンで歌ってるよ♪
おばあちゃんは韮崎出身だから

もしも、おじいちゃんやおばあちゃんが峡北(韮崎市や北杜市)出身なら、『柳沢はいやだよ』『かじかほろほろ』という言葉を出してみてください。すると、素敵な反応があるかもしれません。その地域で育った人にとって、縁故節は懐かしい祭りや踊りの風景とともに記憶に刻まれているようです。

縁故節とは?

山梨の主に峡北地方(韮崎市や北杜市)で歌われてきた民謡です。

大正時代に山梨県韮崎市の山岳会(白鳳会)の有志がその地域で歌い継がれてきた「えぐえぐ節」を編曲したのがはじまりとされています。当時登山ブームにあって、韮崎の山岳観光を全国に宣伝するために縁故節が作られました。

昭和に入ると、山梨県代表の民謡として取り上げられるようになり、県下の祭りなどで広く歌われるようになりました。

そのメロディは単調で覚えやすく、どことなく切なく、哀愁が漂います。一度聴くと不思議と耳に残る節回しが特徴です。

えぐえぐ節とは?

縁故節は「えぐえぐ節」が編曲されたものですが、えぐえぐ節とはなんでしょうか?

えぐえぐ節とは、峡北地方(韮崎市や北杜市)や今の日野春周辺で歌われてきた仕事歌のことです。地場の古い民謡なので、だれが作り、いつから歌われているのかはっきりしませんが、少なくとも江戸時代の馬鈴薯(ジャガイモ)栽培が開始された頃にはすでにあったと言われています。

縁故節のメロディと歌詞

縁故節の音源はNHKでも公開されていて、閲覧が可能です。

NHKみちしる『縁故節』

縁故節の歌詞は以下のとおりです。 (出典:『みちしる』、NHK新日本風土記アーカイブズ)

 サーサえごえご サーサえごえご
 じゃがたら芋ァえごいね(アラセ コラセ)
 土のかからぬとこァ 土のかからぬとこァ
 もっとえごいションガイナ うたう乙女に刈りこめられて 馬の背で鳴くきりぎりす
 かじかほろほろ釜無川だよ かねがなります七里岩 白須白菊台ケ原小菊 三吹とっぱずれのばらの花
 来たら寄っとくれよ穂坂の村に 今は米麦繭の場所

注)
えごい(えぐい)・・・あくが強い。苦い。
かじかほろほろ・・・おそらくカジカガエルが鳴く様
七里岩・・・北杜市から韮崎市にかけて続く崖。約20万年前の八ヶ岳の山体崩壊で発生した岩屑流がその後の年月をかけて川の浸食や雨でできた。
白須、台ケ原、三吹・・・いずれも北杜市白州町、武川町の地名
穂坂・・韮崎市穂坂町の地名


縁故節の歌詞にはバリエーションがあります。例えば以下のとおりです。
(出典:『ふるさとの民謡』、山梨県教育委員会 1985年)


 縁で添うとも 縁で添うとも
 柳沢いやだょ
 (アリャセ~ コリャセ~)
 女が木をきる 女が木をきる
 茅を刈る ションガイナ~
 (アリャセ~ コリャセ~)

(以下、この調子で繰り返し)

 河鹿(かじか)ほろほろ 釜無下りりゃょ
 鐘が鳴ります 七里岩

 縁の切れ目に このぼこできたょ
 この子いなぼこ 縁つなぎ

 縁がありゃ添う なければ添わぬ
 みんな出雲の 神まかせ

 甲州出がけの 吸いつけ煙草
 涙しめりで 火がつかぬ

 駒の深山で 炭焼く主は
 今朝も無事だと 白煙

 主は釜無 わしゃ塩川よ
 末は富士川 深い仲

 歌う乙女に 刈り込められて
 馬の背で鳴く きりぎりす

 甲州名物 水晶にぶどう
 かぼちゃほうとうに おらんかかあだ

 香りゃ鈴らん 色ならつつじ
 甲州初夏 甘利山

注)
柳沢・・・武川町柳澤
ぼこ・・・子供
いなぼこ・・・変な子(稲にかけている?)
駒の深山・・・甲斐駒ケ岳
甘利山・・・韮崎市と南アルプス市の境界にある山

歌詞の内容は、当時の素朴な生活感情、人々の気持ちが切実に伝わるものです。

縁故節のメロディが全国へ

縁故節は当時もNHKで山梨の民謡として全国で放送されるなど、すでに一定の認知を得ていました。

さらに、『島原の子守歌』(長崎県島原市)にもそのメロディが使われることになります。
島倉千代子さんや森繁久弥さんなどの著名な歌手に歌われた『島原の子守歌』が全国的に有名になると、そのメロディと歌詞の構成が縁故節に非常に似ているとして、一部で指摘されるようになります。当時は、島原の子守歌の作者である宮崎康平さんと、それが山梨の縁故節が原曲であると主張する人たちの間で見解の食い違いがあったようですが、現在は研究家などの調査によって「縁故節」が原曲だったことが分かっています。

経緯はともかく、注目すべきは縁故節を元にしたこのメロディと歌詞の構成が国民に広く受け入れられた点です。縁故節のメロディが全国で愛唱されるようになったのは素敵なことですが、なぜ多くの人々に受け入れられたのでしょうか?

そもそも民謡とは?

そもそも民謡とはなんでしょうか?

『民謡』は、地域で生まれ、歌い継がれてきた生活に根ざした歌のことです。往々にして作者(作曲者・作詞者とも)は不詳です。

文献に残る最古の民謡は200年以上に生まれた『こきりこ節(富山県)』と言われていますが、民謡自体はすでに飛鳥時代にはあったとも言われています。

田植えや祭りの歌、仕事歌、わらべうた(童歌)や子守り歌など、それぞれの地域で日々の暮らしに根ざした民謡が、まるで里の社(やしろ)のように自然発生しました。

民謡の中心にあるもの

人はさまざまな感情を味わいながら日々暮らしています。自然の恵みや風景を味わう喜び、恋心(成就や不成就にともなう感情)、親心、人との軋轢、ふと感じる寂しさなどさまざま感情です。それに伴い、自分だけしか知らない(と思っている)感情を得ていきます。

しかし、その感情は自分だけが抱いているものではないかもしれません。

受け取っている感情は言葉では到底表現しきれるものではありません。しかしその感情を民謡という装置に乗せたとき、人々の間に共感が生まれ、感情はもとあった場所へと還っていきます。その環(わ)が民謡の核かもしれません。縁故節は何かを表現しようと構えていたわけではないかもしれませんが、たしかな「詩情」を含んでいるように思います。

「詩情」とはポエジーとも呼ばれ、想像力やインスピレーション、ひらめきが豊かに浮かび立ち、その気持ちをそのまま膨らませたい、自分の個性や経験に根ざし自分らしくなにかを表現したいという気持ちを指します。ある番組で、詩人の谷川俊太郎は「時代で詩がなくなっても詩情がこの世界からなくなることはない」といった趣旨のことを言っています。

縁故節

民謡のこれから

そんな民謡ですが、地方の祭りや伝統行事が減っていくのに伴い、地方の民謡もやはり失われつつあるようです。

とりわけ、昔の人が用いていた抑揚の具合など生で聴かなければ伝わらない部分は途絶えてきていきます。旋律も歌詞もその地域で人から人へ『記憶』で受け継がれてきたからです。実際に、すでに1900年代から経済成長や交通網の整備などで人の行き来が活発になり、民謡の旋律が変化した可能性を専門家は指摘しています。

一方で、これからは文字として楽譜としてデジタルで継承されていきます。いわゆるアーカイブ化です。確実に次世代に民謡を受け継ぐことができ、だれしも故郷の民謡を簡単に知ることができるようになるので、技術の果たす役割は大きいと言えそうです。

たとえばNHKアーカイブス『ふるさとの民謡』があります。
NHKアーカイブス『ふるさとの民謡』

今はYouTubeや音楽ソフトで自由に音楽を聴いたり作ったりできる時代。歌いたければ一人でカラオケにいけるし、好きな曲を何通りものカバーで聞き比べることもできます。その意味では、歌の作り方と聴き方はここ数十年で大きく変化しました。

それでも、歌が受け入れていく様は、昔も今も(つまり民謡もボカロ曲も)変わらないように感じます。社会の様相は違えど、人々が抱いていた気持ちが「誰かによってうまく言い表わされた」という「共感」が歌を広げる力であるようです。その力を縁故節は備えていたということでしょうか。

以上、「山梨の民謡、縁故節(えんこぶし)とは?」でした。

Article written by ヒノキブンコ

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