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森羅万象が染み込んだ文学作品

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コロナで家にいる時間が長くなって読書時間も増えた。何かおすすめの本はある?いつもミステリーを読んでいるから、違うジャンルを知りたいな

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じゃあ、森羅万象の切り口で紹介する!

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森羅万象?




ドストエフスキー、ヘミングウェイ、谷崎潤一郎、夏目漱石。世界の文豪を耳にすることは多いですが、作品には一つの線が引けると感じています。それは、『森羅万象』を含むか含まないか。

含まない場合、おのずと人間模様に主眼を置いた作品となり、含む場合、それがすぐにSF作品ということでなくても自然科学的な要素が強まるのではないでしょうか。この考えの正否はともかく、その自然科学的な要素を森羅万象と見るなら、冒頭に挙げた作家たちはみな前者です。

森羅万象とは『宇宙に存在するすべてのものや現象』という意味です。森や海など自然を指すならまだしも、ほとんど未解明の宇宙のことまですべて含むとなると、これはもうなんとも捉えどころのない言葉に思えます。

しかしそんな捉えどころのない言葉を、あっという手法で思うままにふかしめた小説がこの世界には存在します。繊維一本一本にそれは染みこみ、一つの宇宙観が成立してしまった作品たちです。

目次

『タイタンの妖女』カート・ヴォネガット

宇宙ってなんだろう。世界ってなんだろう。

小さな時から抱いていた疑問は、解説本をいくら読んでも解消されるものではありませんでした。アメリカの作家、カート・ヴォネガットは、この作品であっという方法でその問いに答えています。

作中で繰り返される『そうなろうとする万有意志』。初めは何のことか分かりませんでした。読んだあともはっきりと分かったわけではありません。しかし、その言葉はその後の読者の生活に根を張り始めます。ユングの説く「偶然の必然」にも根底で通じるこのフレーズは、しかももっと大衆的で雑草的です。この世界で試されるのは(個人として、ないし集団としての)意志だ、と気づかされます。その感覚は、量子の存在の仕方(重ねあわせで決まらない量子の状態が人が見ることによってその状態が確定される存在の仕方)にも符合するものです。

作者カート・ヴォネガットは20代のころ第二次世界大戦に兵士として参加、敵国ドイツのドレスデンで捕虜となったまま同盟軍(英米軍)によるドレスデン爆撃を受け、奇跡的に生き残るという壮絶な経験をします。またヴォネガットは、生化学(コーネル大学にて)、機械工学(カーネギー工科大学、テネシー大学にて)、人類学(シカゴ大学大学院にて)と広い分野の学問を専攻した経歴を持ちます。

これは安易な捉え方かもしれませんが、そんな理系的なバックグラウンドと戦争体験が彼に、人類が存在するこの宇宙を大観させたのかもしれません。

この世界はたしかにある程度までは因果律で説明できます。ところが、あるところからそれでは説明できなくなります。それは科学が未発達なせいなのか、それとも「そうでないか」。ヴォネガットはそこに、銀河をまたぐ空間での、(人類と人類以外の)群像を使って切り込みます。

もし何光年も離れた星の生き物が地球にやってきてこの小説を読んだとしたら、地球の用語がいくらあろうと、彼らはヴォネガットの宇宙の捉え方(観念)に圧倒されるかも!?

『銀河鉄道の夜』宮沢賢治

散歩に出かければそこに草木があり季節の香があり、複雑にきらめく水面があります。夜なら無数の恒星が見えますが、これはひとえに「星」とくくられます。散歩で私たちが見る風景は太古からずっと変わらないものですが、そこから受けるイメージを文章にあらわした彼の感受性とはいったいどのようなものだったのでしょうか。

宮沢賢治は、谷崎潤一郎や夏目漱石のように心理描写を巧みに書くタイプの作家ではありませんが、私は彼の作品には懐かしさや前からあったような温かい感覚を得る体験を何度かしました。それは彼の作品に、人の太古の記憶に通じるイメージが染み込んでいるからだと疑っています。

宮沢賢治の肖像(教壇) 教員時代の宮沢賢治(資料提供 林風舎。写真の無断転載はお控えください)

宮沢賢治は農学校(現在、岩手県立花巻農学校)の教員で、地質学、土壌学、農学をはじめ、気象や天文にも通じていたと言われています。その経歴が、幻想的な物語を宇宙の法則に違(たが)うことなく編んでいくことを可能にしたのでしょうか。編むといっても、彼にとってはただ歩いていてたどり着くような場所、何度繰り返しても同じところに行き着くような作業だったのかもしれません。宮沢賢治は「銀河鉄道の夜」を未定稿のまま遺し、今読まれているものは未完成の原稿です。

銀河鉄道の夜をモチーフにして様々なアニメ、音楽、舞台などが生まれました。『銀河鉄道999』でも、物語の枠組みとして『銀河鉄道の夜』に登場する銀河鉄道がモチーフになったとされます。

教科書によく載る「やまなし」のクラムボンでもおなじみ、宮沢賢治は不思議な造語を使うことで有名ですが、この作品でもやはり「ケンタウル露」「鳥を捕る人」などの造語が使われています。その意味や解釈を巡り、研究者や研究家が多くの時間を費やしてきました。

『星の王子さま』サン=テグジュペリ

言わずと知れた名著、80年近く前に書かれ、今も世界中で愛読される作品です。

作者サン=テグジュペリ(フランス)は当時最新鋭の飛行機に乗る飛行士で、フランスーベトナム間最短時間飛行記録に挑戦するほどの腕前でした。その際に、機体の故障でサハラ砂漠に不時着、砂漠を歩きつづけ3日後に自力でカイロにたどり着き奇跡的に助かるという体験が本作の着想につながります。

『星の王子さま』は2005年に国内の翻訳出版権が消失して多くの新翻訳が出たため、今では様々な翻訳で楽しめます。国内初版である内藤濯氏の翻訳はやはりおすすめですが、小説家である池澤夏樹氏の翻訳も読みやすくておすすめです。

『Self-Reference ENGINE』円城塔

私たちが次元について知っていることはまだとても限られています。次元はすぐ足元に広がっているかもしれませんが、それにアクセスすることは今の人類にはできません。

世界を構成する量子は重ね合わせの状態で存在し、人が観察することで量子の状態が瞬時に決定されます。量子もつれを起こした二つの粒子を離しておいて、その片方を観察してその状態が確定となれば、たとえ何光年離れていようとも、もう片方の粒子の状態も瞬時に決まります。その事象を応用した量子テレポーテーション技術の原理が1993年に提唱されました。当初その実験は現実には困難とされていたものの、その20年後の2013年、日本人が完全な量子テレポーテーションの実験を成功させます。さらに2017年には、中国が地上と宇宙間で量子テレポーテーションを成功させます。私たちは、次元についての理解を一歩進める時に近づいているかもしれません。

本作第二部の『Contact』は、そんな「次元」をすでに高いレベルで理解し活用する地球外生命体と人類が遭遇するシーンをリアルに描いています。

ファーストコンタクト(人類が初めて地球外生命体に出会う時)はSF小説の鉄板ネタとしてこれまで多く描かれてきましたが、この作品では全く異なる着想で描かれています。もともと東京大学や京都大学で研究者として働いていた経歴をもつ作者。宇宙のルールに則って破綻せずに記述しさえすれば、たとえ「ペンが飛ぶ」と語りだしてもリアリティが生まれることがこの作品を読むとよく分かります。

『三体』劉慈欣

人類がまだ太陽や星の動きを予測できなかったときと、いま人類が時空や多世界解釈を理解できていないことは同じことかもしれません。人類はいつも問いを突きつけられていて、それに答えていく過程にいます。その壇上に立たされているのは人類だけでしょうか?

この小説では三体(さんたい)問題が一つのモチーフとなっています。三体問題とは、万有引力などで相互作用する3つの物体(天体など)の軌道を扱う力学問題で、方程式は立てられても解析的に一般解を求めることはできない、つまり軌道をまったく予測できない、と考えられています。

太陽光の代替に蛍の光(ルシフェリン系の酵素?)を使うなど、生物系から見ると少し違和感の感じる部分はありましたが(数十万匹の蛍の光で足りる?)、これまで幾多描かれてきたファーストコンタクトの中でも極めてリアリティの高い出会いのシーンが描かれており、SFファン以外の読者にも広く読まれています。時代の運命に翻弄される人々の悲哀や決意の心理描写も見事です。

この小説は英語に翻訳されるやいなや世界中で大ヒット、SF・ファンタジーのもっとも優れた作品に贈られるヒューゴー賞をアジア人として初めて受賞しました。ちなみに、『三体』第一部・第三部の英訳を担当したのは中国系アメリカ人のケン・リューで、彼自身もヒューゴー賞を受賞する世界的な小説家です。

劉慈欣は中国の発電所に勤務するコンピュータエンジニア。そこで長年働きながら一つずつこの小説の着想を得たとしたら、ペンが飛ぶと言い切るリアリティは日々の労働から副次的にもたらされるものだったかもしれません。

『アルケミスト』パウロ・コエーリョ

「犬」と「猫」はある意味で相対するメタファーかもしれません。犬が集団で築きうる可能性、協調がなしうるものなら、猫は個としての可能性。小説にもこの犬と猫を当てはめるなら、アルケミストは猫です。

主人公は、はじめからそうだったわけではないものの、レイモンドチャンドラーの「ロンググッドバイ」のマーロウと同じく、あくまで姿勢を崩さず、自分の目の前に起こる出来事に自分らしく向き合います。その過程で奇跡が起こり、旅の始めには思ってもみなかった場所へ彼はたどり着くことになります。

大切なものはそばにあり、遠くにいってからそれに気がつく。これは昔話などでも使われてきた構造ですが、読者が本作に強く惹きつけられるのは単にその切り口だけではないでしょう。余計な描写が削がれた平易な文章で読み進めるうちに、主人公の心情や考え方が、自分(読者)の心に同期していく感覚が生まれます。

これまで作者の理系的バックグラウンドに触れてきましたが、パウロ・コエーリョ(ブラジル)はとくに理系的職業経験は持たないようです。しかし作品には森羅万象の気配を色濃く感じ、物語は万物の法則に外れることなく進行します。それはなぜでしょうか。そこにはこの作者の出身である南米という地が深く関係しているかもしれません。

南米という土地においては、何千年前から暮らしてきた先代の人々の記憶が今も地続き。この土地で育った作家は土地の記憶が体にリンクしていて、そこからモチーフや物語を自在に引き出すことができます。その土地の神話や伝承をまるで呼吸するように作品に取り込み、理系的バックグラウンドがなくても、深く広い幻想世界を作り出せるのかもしれません。この地から生まれる小説は『百年の孤独』(ガルシア=マルケス著)と同じく、ヨーロッパやアメリカの小説とは根本的に書かれ方が違う印象を受けます。先住民の記憶をぶつ切りにした歴史的背景を持つアメリカでは、トルストイやフィッツジェラルド、レイモンドチャンドラーなど、戦争や富、事件を通して人間模様を描く作品が多い印象を受けます。



以上、森羅万象が染み込んだ小説紹介でした。

「森羅万象が染み込んだ」とは、宇宙に範囲が及んでも崩れないリアリティ、のことでした。「ペンが飛ぶ」と切り出しても、そこにリアリティを崩壊させないだけの手順があれば、やがてお話は切迫を帯び、私たち読者をどこまでも遠くに運んでくれます。

Written by ヒノキブンコ

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