山梨で生まれたお金

甲州金(こうしゅうきん)

信玄は甲斐(かい※)、駿河(するが※)にたくさんの金山を手にいれたので、松木・野中などの4人のちゅうぞうし(お金をつくる人)に重さを表示(ひょうじ)した甲州金というお金をつくらせたんだ。甲州金の単位(たんい)は両(りょう)・分(ぶ)・朱(しゅ)などに分けられ、一番小さい単位は一番大きいものの1/256にするというすぐれたしくみをもっていたのさ。甲州金は江戸時代(えどじだい)になっても発行(はっこう)されたんだ。

甲州金

寛永通宝(かんえいつうほう)- 甲斐飯田銭(かいいいだせん)

江戸時代になると、金や銀で高額(こうがく)のお金がつくられたほか、こまかいお金が銅・鉄でつくられたんだ。これが寛永通宝というゼニ(※)なんだ。まず水戸(みと)の佐藤新助(さとうしんすけ)という人につくらせたが、くり返しおこった大火事などでゼニがたくさん必要となり、全国各地でつくることが許されたんだ。山梨でも甲斐飯田銭(かいいいだせん)と呼(よ)ばれるゼニがつくられたんだよ。

寛永通宝 - 甲斐飯田銭

甲州(こうしゅう)の村札(むらさつ)- 宿場札(しゅくばさつ)

幕末(ばくまつ)から明治の初めにかけてはたくさんの種類(しゅるい)のお金がつくられたんだ。そのなかで珍(めずら)しいのは甲州の一部の部落(ぶらく※)が発行した札や、宿場のお金持が発行した宿場札などがあるんだよ。これらはすべて私札(しふだ)と呼(よ)ばれているんだ。

甲州の村札-宿場札

第十国立銀行紙幣(だいじゅうこくりつぎんこうしへい)

当行は1877年(明治10年)から1896年(明治29年)までの間を第十国立銀行といったんだ。そして1877年(明治10年)から3年間に1・2・5・10・20円の5種類(しゅるい)のお札を発行したんだよ。お札には第十国立銀行の名前、頭取(とうどり※)の名前、山梨県の名前などがしるされているんだ。

第十国立銀行紙幣

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